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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

モントピリア (軽巡洋艦)

モントピリア (USS Montpelier, CL-57) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の3番艦。艦名はバーモント州モントピリアに因む。その名を持つ艦としては2隻目。

モントピリアは1940年12月2日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工した。1942年2月12日にウィリアム・F・キャリー夫人によって命名、進水し、1942年9月9日に艦長レイトン・ウッド大佐の指揮下就役した。

モントピリアはバージニア州ノーフォークを出航し、1943年1月18日にニューカレドニアのヌーメアに到着し、アーロン・S・メリル少将率いる第12巡洋艦戦隊の旗艦となる。1月25日にニューヘブリデス諸島のエファテ島に到着、同地を拠点として数ヶ月間を過ごす。ガダルカナル島付近の敵勢力を一掃する間に、モントピリアは1月29日にレンネル島沖海戦に参加した。

2月21日にはラッセル島への上陸部隊を支援した。3月5日、6日の晩、モントピリアはビラ・スタンモーア夜戦において、コロンバンガラ島の飛行場を砲撃し、敵駆逐艦の撃沈を支援した。6月29日、30日、モントピリアと僚艦3隻はニュージョージア島侵攻準備としてポポラン島への砲撃を行う。7月11日、12日の晩にはムンダへの砲撃を行った。続く4ヶ月間、モントピリアは日本軍の撤退を妨げるためニュージョージア島付近の偵察巡航を行った。

オーストラリアのシドニーを訪れた後、モントピリアは第39任務部隊の旗艦となり、トゥレジャリ諸島およびブーゲンビル島への侵攻部隊に加わる。11月1日にはブーゲンビル島北部のブカ=ボニス飛行場へ砲撃を行い、ポポラン島、バラレ島の日本軍守備隊に攻撃を行った。巡洋艦と駆逐艦から構成された第39任務部隊は11月2日の夜にブーゲンビル島沖海戦で日本艦隊と交戦する。結果はアメリカ艦隊の勝利で終わり、モントピリアは敵艦1隻の撃沈の支援に加え、敵機5機を撃墜した。

1944年2月15日から19日までモントピリアは、ビスマルク諸島のグリーン島への上陸を支援した。3月にはトラック島南方で敵艦を探索し、エミラウ島侵攻部隊に加わる。6月14日にマリアナ諸島侵攻支援のためサイパンへの砲撃を開始し、19日から21日まで第58任務部隊と共にマリアナ沖海戦に参加した。この海戦で日本軍の空母部隊は事実上壊滅した。モントピリアはマリアナ諸島に戻り、サイパン、テニアン、グアムへの砲撃を継続した。8月2日にマリアナ諸島を離れ、オーバーホールのため本国に帰還する。

11月25日に戦場に復帰、レイテ湾沖で任務部隊に合流する。同湾沖で偵察巡航中にモントピリアは多くの奇襲攻撃を退け、敵機4機を撃墜した。12月12日からはミンドロ島侵攻支援のため沿岸での援護を行う。1945年1月のリンガエン湾上陸では特攻機の攻撃から上陸部隊を守り、2月にはコレヒドール島のマリベレス湾、パラワン島での作戦支援、4月14日から23日まではミンダナオ島への上陸を支援した。拠点であるスービック湾からボルネオのブルネイ湾に向けて出航し、6月9日に到着する。6月17日から7月2日までバリクパパンの給油所から出航し、掃海艦、水中爆破班、上陸部隊への支援を行う。モントピリアは艦砲射撃によりオーストラリア軍部隊を支援し、多くの連合軍将兵の命を救った。7月の後半から8月にかけては東シナ海で3度の哨戒を行った。

戦争が終了すると、モントピリアは和歌山港に停泊し、連合軍捕虜の収容を支援した。日本軍艦艇の検査後、モントピリアの乗員は広島市の様子を見学するために上陸した。10月18日には松山市で駐屯軍の上陸支援を行い、11月15日に瀬戸内海を離れ東海岸に向かう。太平洋からハワイを経由してサンディエゴに向かい、続いてパナマ運河を通過、最終目的地のニューヨークに到着した。

1945年12月11日に大西洋艦隊に合流、1946年7月1日に第16艦隊に配属される。モントピリアは1947年1月24日にフィラデルフィアで退役し係留された。1959年3月1日に除籍され、1960年1月22日にベスレヘム・スチール社にスクラップとして売却された。

モントピリアは第二次世界大戦の戦功で13個の従軍星章を受章した。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

歴代艦長
レイトン・ウッド Leighton Wood 海軍大佐:1942年9月9日 - 1943年6月9日 初代艦長。最初の巡航中に死去。
ロバート・G・トービン Robert G. Tobin 海軍大佐:1943年6月9日 - 1943年12月2日
ハリー・D・ホフマン Harry D. Hoffman 海軍大佐:1943年12月2日 - 1945年3月3日 将官へ昇進。「"The Horse."」の愛称で呼ばれる。
ウィリアム・A・ゴーリー William A. Gorry 海軍大佐:1945年3月3日 - 日本降伏時の艦長。

2009年03月22日

ニコイチ

ニコイチもしくはにこいちとは、機械・器具の修理に際し、二つの不良個体から部品を組み合わせ、一つの個体にすること。二つの個体がそれぞれ別な個所で故障あるいは破損している場合に行われ、一方の個体の故障個所に他方の個体から取り出した良品を組みこむことで修理を行うものである。

かつて自動車の中古車市場などで、事故車などから部品を取って一台の車に仕立て上げた粗悪品を言う言葉として使われていたが、その後一般名詞化したものと思われる。二個で一個の略から出た言葉である。

なお、ニコイチで部品を供給した側も、さらに別な故障個所をもった第三の個体があればそちらにも部品を供給することができるし、逆に故障個所の多い個体の場合3個体あるいは4個体を用いないと1個体の良品を再生できない場合(この場合、サンコイチやヨンコイチと呼ばれることもある。)もあるが、これらも広い意味でのニコイチといえる。

通常、製造メーカー自身、あるいはメーカー指定の修理会社等で保守サービスを行う場合には、製造メーカーが供給する修理用部品を用いて故障個所や破損個所を修理する。しかし、製造メーカーや修理会社による修理が受けられない場合で、どうしても修理を要する場合には、やむなくこのような修理方法をとらざるを得ない。このような必要が生ずることがあるのは例えば次のような場合がある。
らんたい レタリング ゾンサワ ブルーフ リゲル ジューレ デリー きあおみ 千社札 マッタ ピーカン かつお菜 スリム ピアス ヤペテ チェンナイ 飛躍 マトリ ステップ オレゴン マーメイド スタート スピー しんとつ リュート ドラジェ ガッツ ベロッパー わくや トレイ ソリッド レイト ソーター シェーマ セオド ミント最適 カーンプル ミノロジー タイム たいわ スイッ ハンター スイート ランチコ スクープ シルヘット ヒュー ダート チャプレ ラッキ

製造メーカーは製品の製造終了後一定期間は保守サービスを提供するが、その期間が過ぎると修理用部品が無くなるなどの理由で修理を辞退することがある。また、製造メーカーが倒産、解散あるいは業態変更したことなどにより、その製品の保守サービスができなくなることがある。古くなってもその製品を愛用したいと考えるユーザーに可能な方法のひとつがニコイチ修理である。無線機、オーディオ製品、フィルムカメラなどの古いが価値のある製品(ビンテージ製品)ではよくこうした修理方法が必要になる。

また、メーカー修理が可能であるにも拘らず、修理費用の節約のために行う場合もある。特にエレクトロニクス技術を多用した機器では、機器の高密度実装が進んだ結果、修理時の交換単位が大きくなった。30年前の真空管式テレビ受像機では、不良になった真空管や焼き切れた抵抗器を交換するなどの修理が行われたが、近年では機能の大半を占める回路基板アセンブリをそっくり交換する方法で修理を行うことが多い。パーソナルコンピュータやデジタルカメラなどでも、そうした修理方法を採用する場合がある。このため修理費が高くつき、消費者は修理よりもむしろ買い換えを選びたくなることがある。中古品の修理などはまさにそうした場合で、メーカー修理を選ばず、ニコイチ修理で済ませることで費用を節約するユーザーや、非メーカー系の修理業者がでてくる所以である。当然のことながら正規の修理ではないので、メーカーに再修理を持ちこむなどすると修理を断られることがある。このため、修理は自己責任で行う必要がある。

こうしたニコイチ修理のためには、同等な製品が複数あることが必要であり、特に古い製品の場合にはまずニコイチの相方を探すことから始めなければならず、ジャンクを探して中古販売店やネットオークションを頼ることなどが必要になる。

自動車におけるニコイチ [編集]
自動車においてはモノコックを大きく切断・溶接し「ニコイチ」された個体のことを「接合車」と呼ぶ。ほぼ全ての中古車オークション会場では接合車の出品が禁止されている。なお、屋根だけを交換したもの、同じ車体を切断し溶接したものも全て接合車の扱いとなる。車両保険で全損扱いになった事故車を安く(または無料で)引き取り復活させ、転売して儲けるための手段として使われる場合が多い。接合車は存在自体が詐欺であると言える。

もちろん、自動車修理・カスタムにおける「ニコイチ」は接合車製作を必ずしも意味するものではない。様々な部品の移植(不動車に部品取り車の同型エンジンを搭載するなど)と言う意味での「ニコイチ」はよくあることである。ネットオークションや個人売買において部品取り車が車体丸ごとで売られることは珍しいことではなく、特に旧型車になってくると部品供給がおぼつかなくなる不安から複数の部品取り車を保有するオーナーもいる。また、カスタムカーの世界においては装着されているカスタムパーツ目当てで部品取り車を購入し、自車に移植するというケースも考えられる。この場合、「ニコイチ」と中古パーツを利用した修理・カスタムはパーツ購入の単位が違うだけで境界線はあいまい、とも言える。またスワップチューン(エンジンスワップや顔面スワップなど)も「ニコイチ」と呼称される事があるほか、それらに使う部品をボディ側に使われていたものとエンジン側に使われていたものとの「ニコイチ」で製作することもある。この例としてRPS13型180SXに、S13型シルビアのフロントを装着した日産・シルエイティ等がある。

自動車以外でのニコイチ [編集]
鉄道車両の転用改造にあたり、先頭車(制御付随車)の運転台部分の車体を切り離し、中間電動車に切り継ぎして制御電動車を作り上げるような手法、両運転台の車両が必要な場合に片運転台の車両に別の車両から運転台部分を切り継いで造る場合(例:キハ58×2両→キハ53)にもみられる。これも広義のニコイチ的な改造と考えられる。
プラモデルなどの模型の世界では、複数の市販キットを組み合わせて違うタイプの機体を製作したり、複数のメーカーの同じ機種のキットから良い部分を組み合わせて完成度の高い作品を製作する手法を指す。

その他 [編集]
上節で示すように、ニコイチとは元々、二つのものから一つのものを修理・製造することを指すが、そこから転じ、二つのものを一組として扱うことも意味するようになった。

オートバイあるいは、普通自動車に二人で乗車している場合をニコイチと言うこともある。アマチュア無線などで「ニコイチワンパックモービル」といえば、二人乗車の状態であることを指す。オートバイのタンデム乗車は、二人で一体となって走るのであるから、言葉的には適当な表現である。

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